【Sarah Coventry / サラ・コベントリー 】

 

サラ・コベントリーは、1949年創立のアメリカのコスチュームジュエリー会社。ホスト役が主宰するホームパーティで顧客に直接ジュエリーを販売する方法で人気を博し、1950年代から次第に販売網を全米に拡大、最盛期にはカナダ、英国、オーストラリアなどにも進出していました。

 

都会的で洗練された上品なデザインで、華美に過ぎず、日常的にも使いやすい実用性が特徴。その折々の流行もいち早く取り入れていたようで、気軽に見に行けるジュエリー専門店が近くにない地方在住の女性たちは、次のホームパーティを心待ちにしていたことでしょう。

このパーティ形式の販売方法には、興味深い現代史が隠されています。

第二次世界大戦中、人手不足を補うために、それまでは家庭にいた女性たちが工場などあらゆる職場で仕事に就きました。しかし戦争が終わって男たちが戦場から戻ると、彼女たちの働ける場所はなくなってしまいました。

ひとたび主要な労働力となって働いた女性たちですから、ただ家庭に戻るのは気が進まない。自分の自由になるお金も欲しいし、「普通の主婦」でいたくない。労働意欲は旺盛なのに職がない状況が発生しました。ホームパーティ形式のジュエリー販売は、その余剰な労働力ーー女性たちのやる気を吸収するアイディアでした。

サラ・コベントリーはパーティ販売のホスト(女性も男性もいたそうです)を募集し、スタートアップ・キットを無償で貸与、ホームパーティのホストとして教育しました。パーティのホスト役には、パーティ主催者だけに頒布されるジュエリーセットが用意されるなど、インセンティブを高める様々な方法が実行されたようです。

1950年代、'60年代、'70年代と、サラ・コベントリーは順調に成長し続け、ブランドとしての認知度を高めていきました。ニューヨークに本社を構え、製造・販売も英国、カナダ、オーストラリア、ベルギー等国際的に広がっていきます。

しかし'80年代に入ると成長が止まり、やがて下り坂に。というのも、外に出て働く女性が増えるにつれて、パーティ販売のホスト役も顧客も不足するようになってきたからです。

ホームパーティによる直接販売という成功したビジネスモデルから別の方法への切り替えに失敗し、1984年にはとうとう破産、創業者の手を離れました。その後もサラ・コベントリーのブランド名での販売は続きましたが、2011年2月、トレードマークを抹消し、その半世紀以上にわたる歴史に終止符を打ちました。

サラ・コベントリーのコスチュームジュエリーは、デザインの多彩さも特徴の1つです。これは、自社デザイナーを置かず、複数のジュエリー会社やスタジオから製品やデザインを購入し、自社ブランドとして販売していたことに因るようです。フレキシビリティが高く、流行につれて揺れ動く女性たちの多様な希望に応えるのに適した方法のように思われます。

サラ・コベントリーのジュエリーのうち、コレクターに人気が高いのは1950年代から'70年代にかけて販売されたジュエリーです。特に、ホストだけに用意されたセットもののジュエリーはたいへんポピュラーです。

最後にブランド名「サラ・コベントリー」について。よく間違えられるように、専属デザイナーの名前ではないことは前述の通りです。このブランド名の由来には諸説ありますが、1.創業者の祖父(果物の苗の訪問販売を行っていたそうです)の孫娘の名前という説と、2.創業年に生まれた創業者の姪の名前「サラ」と一家が英国にいた時に住んでいた街の名前「コベントリー」の合体との2説が有望です。[買い付け担当店長1/2]

Something Old Something New で現在ご案内しているサラ・コベントリーのジュエリーは、こちらでご覧いただけます。

 

[買い付け担当店長1/2より]サラ・コベントリーのジュエリーを愛用しています。上品なデザインが多く、おしつけがましくないので、様々な場面に使えて重宝しています。